2021/6/6
いままで3回にわたって紹介した「梯子の物語」の最終回を紹介し、物語に残された謎を考察する。
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メモには暗号のような文章と、2009年1月2日に神社である女性と会い、ピアスを渡してほしいというメッセージが書かれていた。
文章の意味を知りたかった青年がメモの内容を2ちゃんねるにアップすると、掲示板の参加者からさまざまな意見が集まった。
※「梯子」とは、青年が掲示板で呼ばれていた愛称のこと。
その後、岡田真澄似の紳士のグループ、通称「岡田派」から、亡くなったはずの両親が写った写真を受け取ったり、岡田派と対立する、謎のスーツの女性、通称「ドト子」、今はまだ発見されていない「停点」という時間の理論を教わる。
ドト子は、停点理論を使った装置で、誰もいない空間へ、梯子を連れていき、「梯子が神社に行って女性にピアスを渡すと、停点理論が発見されなくなり、世界が平和ではなくなるから、行かないでほしい」と頼む。
梯子は悩んだあげくドト子の方を信用するが、ピアスの鑑定を頼んでいた知り合いが裏切り、梯子より先に、神社でブーツの女性にピアスを渡してしまう。
梯子は平和な未来を壊してしまったと自分をせめ、寝込んでしまう。
次に梯子が目を覚ますと、唯一の大切な肉親の姉が、妹に変わっていた。
梯子は自暴自棄になり、岡田派とドト子の2つのグループの秘密を掲示板で明かす。
その直後、
Disclaimer?(権利放棄?)
Disclaimer.(権利放棄?).
alteration.(変更)
done(完了).
alteration?(変更?)
good bye :)
という謎の英文とともに、梯子は掲示板から姿を消す。
梯子が掲示板から消えてから4日後の2009年5月25日、「ゆんゆん」という、人間離れした雰囲気の態度の大きい女性が現れた。
愚劣な人間を見ると私の心は安らぐ。
いくら年が経とうが、人は変わらないんだと確認できるから。
梯子、さあお前はどうするー?
選択しないとまずいんじゃないのかなー。
こうみえても心配してたりするんだなー。
あまり信じてはもらえないけどさ。
彼女は不思議な謎かけを掲示板参加者たちに出し、禅問答みたいなやりとりを繰り返した。
一つ問題を出そう。
昔あるところに、天涯孤独の身の上の子どもがいました。
子どもはたった独りではありましたが、生まれた時からそうだったので別に悲しくも寂しくもありませんでした。
ただその子は大きくなり知恵がつくにつれて、変化に怯えるようになりました。
自分が感じる幸せが何も変わって欲しくなかったのです。
そのために何か出来ないかと何でもしましたが不安は拭えませんでした。
その子は毎日毎日嘆いて暮らしていました
ある時、子どもは一人の魔女と出会いました
初めて出会う他人で、しかも魔女であったのに子どもは親切に優しく彼女をもてなすことが出来ました。
魔女は子どもに言いました。
お礼に一つだけ願いをかなえてあげましょう。
さて、子どもは何をお願いしたと思う?
小雨の降る綺麗な夜だった。
その日の食卓にいたのは父と母と姉と妹と弟だった。
弟は砂漠の番人の仕事をさぼってしまったのだが、怒りを恐れて隠していた。
その日かえるは井戸の中から空を見上げるのをやめた。
父は怒ってかえるを殺してしまった。
母は泣き伏しながらその遺骸を集めた。
弟は釘を打った箱にそれを詰めて海へ流した。
妹がそれを拾い、姉が遺骸を並べる。
翌朝に父と母が死んだが、弔うものは誰もいなかった。
さあ、忘れ去られた哀れな兄はどこ?
かえるは誰?
兄は、本当に、いたの?
Ich frage Sie danach.(お尋ねします)
Wer bin ich?(私は誰?)
Wo ist Ihr Mut?(あなたの勇気はどこ?)
※ドイツ語訳はBTTP。
そして2011年3月9日、東日本大震災が発生する2日前、
いや
今日はやめておこう
その時が近づいているから
お前はお前のために時間をお使いね
ゆんゆんはこの投稿を最後に、掲示板から姿を消す。
それから3年後の2014年4月13日、再び梯子が掲示板に投稿する。
時節は到来しました。
非難を覚悟で全てお話しします。
これは、ある人との約束を果たすためでもあります。
僕はきちんとこの物語を終わらせなければなりません。
梯子によると、「Disclaimer?」以下の謎の英語は、梯子が書いたものではないという。
「ゲームの中で踊らされるのはごめんだ」と最後の投稿を書いてエンターキーを押した瞬間、目まいがしてお腹の底にズンと重い石が落ちたように感じ、意識が途切れた。
気がつくと、何かとてもいい匂いがして、梯子は目を覚ました。
匂いの元は豚汁で、梯子はソファーの上で寝ていた。お腹の上にはスイカがのっていた。
梯子がソファーから起き上がると、男の子が駆け寄ってきて「パパ起きたよ、スイカだっこして寝て変なのー」と笑った。
梯子が目を覚ましたのは、気を失ってから19年後、2028年の夏だった。
目が覚めたとき、軽い頭痛を感じたが、記憶ははっきりしていた。
そのときの梯子は46歳。妻と高校生の長女、6歳の息子の4人ぐらしだった。
その世界の梯子は、大学を卒業して通信会社に入社。
28歳の時に結婚して、2年後には長女が生まれた。
40歳の時に長男が誕生(さっきのスイカでイタズラした男の子)。
その世界の梯子には、姉どころか妹もいなかった。
ほかにも、両親が生きていたり、大学をちゃんと卒業していたり、身体的な特徴が違っていた。
そして、ときどき起こる、軽い頭痛と目まいにも悩まされていた。
それから3ヶ月後、梯子は頭痛の原因を調べてもらおうと、午後から有給を取り、都内の病院を予約した。
すると長女から、部活がなくなり高校が早く終わりそうだから、病院の帰りに迎えにきて欲しいと連絡があった。
病院が長くかかると困るので、先に娘を迎えに行くことにした梯子は、娘を待つ間、コーヒーでも飲もうと、自動販売機の前に車を止めた。
飲み物を選んで電子マネーをかざしたが、カードが反応しない。当時は電子マネーが主流で、梯子は小銭を持ち歩いていなかった。
コンビニに行こうかと迷っていると、背後に誰かの気配がした。
振り返ると、1人の若い女性が立っていた。
肩までの黒い髪を斜めにわけ、薄いピンクのセーターにジーンズ、年齢は長女と同じ高校生ぐらいに見えた。
自販機の順番を待っているのかと「どうぞお先に」と促すと、女性は軽く頭を下げ「煙草、あなたは吸わないんですね」と微笑むと、その場から去っていった。
梯子は何のことかわからなかったが、奇妙な違和感を覚え、車に戻ると、ワイパーに何かのメモがはさまっていた。
メモには暗号のような文章が書かれていた。
梯子は、さっきの若い女性が残していったにちがいないと思った。
怪しいとは思いながらも、なぜかそのメモにデジャヴのようなものを感じ、捨てることができず、机の引き出しにしまっておいた。
それから時が過ぎ、12月になり、クリスチャンだった梯子家は、毎年恒例のクリスマスを家族で祝った。
その世界ではあることがきっかけで、キリスト教の人口が急増していた。
そして年末、大掃除をしていたとき、机の引き出しにしまったはずのメモが、棚に置かれているのに気づいた。
メモを手に取ると、そこに書かれていた「S特区A神社」という言葉になぜだか強くひかれ、家族に、1月2日に初詣に行くことを提案した。
妻も子供たちも賛成したが、年が明けてすぐ、長男が熱を出し、妻はその看病、長女は急に友達と出かける用事ができ、けっきょく神社には梯子1人で行った。
梯子がS区に行ってみると、A神社は、区画整理で別の名前に変わっていた。
やはりメモはいたずらだったのかと引き返そうとしたが、もう少しで14時5分、せっかくなのでその神社にお参りをすませ、帰ろうとしたとき、靴の紐が溝に引っかかった。
しゃがんではずそうとしたその瞬間、周囲の人たちのざわめきが消えた。
1月2日の神社なので、たくさんの人々でにぎわっていたのに、今は誰もいない。
梯子が呆然と立ちつくしていると、後ろから肩をたたかれた。
振り返ると、衝撃的に美しい女性が立っていた。
ゆるやかにカールした髪、長い手足、水色のワンピースにサッシュベルトの女性は、映画の世界から抜け出したヒロインのようだった。
まぶしく輝くオーラを放っていて、梯子が見とれていると、女性は「なるほど、おまえは、こういう女と出会えるかもと期待してここに来たわけだ」と笑った。
梯子は我に返り、自分の置かれている状況が怖くなり、誰かいないかと神社の境内を走り回った。
女性は黙ってその様子を眺めていた。
梯子はその場から離れようと駐車場の車に戻り、エンジンをかけようとしたが、かからない。
すると、突然助手席にさっきの女性が現れ、梯子は叫び声をあげた。
車のドアを開けて逃げようとしたが開かず、どうしようもなくなった梯子は女性に「この状況はどういうことですか?」とたずねた。
女性は「今、幸せか?」と逆に質問してきた。
梯子は意味がわからず、ハンドルに顔をうずめていると、どうしようもない怒りと絶望感が胸にこみ上げ、涙があふれてきた。
そして同じような感覚を、いつかどこかで味わったことを思い出した。
そのときふと、自動販売機の前で会った若い女性の顔が浮かんだ。
彼女に感じた違和感はなんだったのか? 知っているようで知らない、でも懐かしい感覚・・・。
吐き気と頭痛が襲ってきて、うずくまる梯子に、助手席の女性は質問を続けた。
「今、幸せか?、幸せと言い切れるか?」
「日常の中に異物感を感じたことはないか?」
「カラーの世界に紛れ込んだモノクロの景色のような、一瞬の違和感を感じたことはないか?」
いっそう激しくなった吐き気と頭痛の中、頭をあげると、周囲には喧噪と人混みが戻っていた。
梯子は女性に「僕はどうなってしまったんですか?」と尋ねた。
女性は「夢を見ている。数限りない可能性の中から、こうありたかったと自分で編集した小さな世界にのぞんでいる」と答えた。
梯子は「それでいい、たとえこれが1分前に始まった世界だとしても、ここで生き、死に、終わりたい」と言った。
そのとき梯子はもう、46歳ではなく、20代の梯子に戻っていた。
女性は「梯子が何を望もうと、自分のやることをやるだけだ」と言った。
その顔には、なんの感情も浮かんでいなかった。
梯子が「あなたは誰だ?、ドト子や岡田派の仲間か?」とたずねると、女性は「それも梯子にはどうだっていいことだろう。人は厄介な生き物で嫌になる。頭も心も体も嘘をつく。しかも、そのことに気づいて生きる者は少ない」。
「1つだけ私からプレゼントをあげよう。魂で考えろ、そして選べ」と。
次の瞬間、女性の姿は車内から消えていた。
梯子は全身が冷や汗でびっしょり濡れ、しばらくシートに体をうずめていたが、やっと我に返り、ドアを開けて外に足を一歩踏み出した。
そのとたん地面がぐにゃりとへこみ、梯子は底なし沼のような暗い穴に沈んでいった。
それから約1カ月後、再び現れた梯子は、事情が変わって続きを話せなくなったと言った。
報告できるのは、2014年の梯子は、ただの貧乏なサラリーマンだと。
ただ、神社であった人間離れした美女は「ゆんゆん」だとだけ認めた。
それから梯子は、思いついたように掲示板に現れ、自分の思いを語ったり、参加者からの質問に答えていった。
Q:この話ってフィクション?
梯子:僕が宣言することに何の意味があるんでしょうか…。
とある視点からみると、あなた方もフィクションであるのに。
Q:なるべく多くの人に、この話を知ってもらいたいという理由は?
梯子:人は真実を知るべきでないと僕は思うし、実際それにたどり着いた人なんかほとんどいない。
僕もただの自分の解釈でしか話をすることが出来ません。
けれどその中から少しでもたどり着ける人がいるのなら、彼女の言葉を真似する訳ではないけれど、僕はそれに賭けたい。
梯子には今、妹がいるという。
「ゆんゆんは何者?」という質問に対して、少なくとも人間ではない。彼女はひたすら怖く、そして優しい。彼女が恐竜ならば、われわれは生まれたばかりのひよこ。いつ踏みつぶされるかわからない。
「ゆんゆんは、今どこで何をしているの?」に対して、新たに契約を交わした人といるはず。なんとなくその人の予想はついている。
「20代の梯子から別の世界の梯子へ、タイムリープみたいに意識だけが移動したの?」
意識と肉体は分けられるものではなく、移動という言葉も正しくない。
今の梯子は姉のいる梯子と同じ存在で、家族に囲まれて暮らしていた40代の梯子も同じ。
梯子はただ1人しかおらず、選択してきたことが記憶となり、過去となる。
ただ、世界を軸にするとそれは変わる。天動説と地動説みたいなもの。
いまのところ、2017年4月22日の投稿が、梯子の最後の書き込みだ。
なんとかして潜在意識に残したい
なぜ皆何食わぬ顔で日々を過ごすのか
なぜあの人は出てこないのか
なぜ妹は妹なのか
教えて欲しいです
すべて手遅れになる前に教えて欲しいです
僕は話しちゃいけない
パッセンジャーだから
誰かわかって欲しいです誰かわかりませんか?
お願いします
誰かわかりませんか
もうしにたい
意味がないとわかっていても
しにたい
この投稿では、誰か、あるいは何かの答えを待っているような、それが実現せずに絶望しているような言葉をつぶやいている。
スポットライト理論は、宇宙がはじまったときすでに、過去・現在・未来のすべての時間が存在し、スポットライトが瞬間瞬間を照らして移動していくように、われわれの意識が瞬間瞬間を観測していくという仮説だ。
アメリカ・マサチューセッツ工科大学の哲学教授、ブラッドフォード・スコウ博士が、ブロック宇宙論をベースに考案した。
ゆんゆんが掲示板に登場したとき、この宇宙を1冊の本にたとえ「バイブル」と呼んでいた。
バイブルは量が決められてるんだ
それを本に例えた科学者がいたからバイブル
完成されたバイブルは一つだけ
あとは落丁のようなもの
しかしそれもまた本編たりうる
バイブルは複数あるというのも間違いでない
私も別のバイブルという呼び方をするしな
命名した研究者への敬意を込めて
1冊の本が完成したとき、すべてのページはそろっていて、読む人によって、途中から読んだり、ページを飛ばして読むこともできるが、普通は最初から、最後に向かって読んでいく。それが「時間の流れ」。
でもそのルールを誰が決めたかはわからない。それが「クロノスの不在」という意味なのかもしれない。
最後に1つ。ドト子は、停点理論をドイツの青年が「発見することになる」と言っていた。
なぜ「考案」ではなく「発見」なのか?
もしかしたら彼は「停点の存在」を、実体験として知ったのではないか?
ドイツの青年は、偶然、停点の世界へ入り込み、それが存在することを発見し、理論として完成させた・・・。
いつかきっと、ドイツの青年以外にも、停点を知覚できる人間が現れる。
梯子は、その存在が現れるのを待っているのではないか?