2023/2/26
このサイトでは定期的に、その時点でのまとめ的なタイムマシンの考察をしている。
【2019年】
●「現時点で実証可能性のあるタイムマシン」(2019年度物理版)
【2018年】
●「現時点で過去を変えることができそうなタイムマシン」(2018年度物理版)
【2017年】
●「現時点で最も実現性がありそうなタイムマシン」(2017年度物理版)
前回の2019年からだいぶ間が空いてしまったが、4年間のブランクを埋める意味でも画期的だと思えるタイムトラベル理論を紹介したい。
まず前提となる理論を紹介していく。
動画はこちら↓
まずブラックホールが持つエントロピーの話からはじめる。
エントロピーはわかりやすく言うと「乱雑さ」のことだ。
われわれの世界では物事は、放っておくと秩序のある状態から秩序のない状態に変化していく。
これを「エントロピーが増大する」といい「熱力学の第2法則」として知られている。
ブラックホールはとても強い重力で物質が中心部に向かって吸い込まれる天体のことだ。
ブラックホールには一度入ると光でも抜け出せなくなる境界があり、それを「事象の地平面」という。
物質が事象の地平面を越えると、抜け出せなくなって消えてしまったように見える。
しかし熱力学の第2法則によれば、エントロピーは増大する。つまり情報量が増えるということだ。
物質が吸い込まれて情報量が増えるはずなのに、消えてなくなってしまうのは矛盾している。
この矛盾は「ブラックホールの情報パラドックス」と呼ばれる。
この矛盾を解決する理論として、1970年代にイスラエルの物理学者ヤコブ・ベッケンシュタイン博士とイギリスの物理学者スティーヴン・ホーキング博士が「飲み込まれた情報は事象の地平面に保存される」という公式を発表した。
ベッケンシュタイン-ホーキング公式によれば、飲み込まれた物質の情報は、ブラックホールの中ではなくその表面の面積として保存される。
事象の地平面の面積は物質が飲み込まれるたびに大きくなっていき、熱力学の第2法則に矛盾しない。
しかもその情報はホーキング博士の考えた放射によって、少しずつ外側に漏れ出していく。
この公式から、2つのブラックホールが合体したとき、その表面積が元の2つの合計より大きくなることが予測されていた。
そして実際に2021年に発表された論文で、2つのブラックホールが合体したときその重力波を分析すると、表面積が元の2つを足したものより大きくなることがわかった。
●「2つのブラックホールが合体後に表面積増大」の論文/arXivより
これはベッケンシュタイン-ホーキング公式が正しく、ブラックホールに飲み込まれた情報が、その体積ではなく表面積に保存される証拠になる。
1990年代には、オランダの物理学者ヘーラルト・トホーフト博士とアメリカの物理学者レオナルド・サスキンド博士が超弦理論をブラックホール・エントロピーで拡張した「ホログラフィー原理」を提案した。
超弦理論とは、物理学の未解決問題「重力を量子力学で説明する」ために、われわれを形作る最小単位を粒子のような点ではなく、1本の「弦」(=ひも)としてとらえた理論だ。
ひもには電磁気力や強い力、弱い力を伝える「開いたひも」と、重力を伝える「閉じたひも」の2種類がある。
開いたひもは、閉じたひもが集まって凝縮した「Dブレイン」という膜にくっついている。
開いたひもが伝わっていく軌跡を描くと、こんな山の形になる。
この山を縦じゃなく横に切ると、重力を伝える閉じたひもの軌跡になる。
つまり量子力学的なミクロの世界のひもから、マクロの世界の重力が自然に現れるのだ。
この3次元空間に伝わる重力を、1つ次元を下げた重力を含まない2次元の境界で説明できるというのが「ホログラフィー原理」だ。
ちなみにこの「ホログラフィー」は、キラキラ光る2次元の画像にレーザーをあてると3次元の像が浮かび上がる「ホログラム」に似ていることに由来する。
「ホログラフィー原理」の考え方を拡張すれば、われわれの住んでいる3次元空間はホログラム(幻想)で、そのはるか彼方の2次元に投影された情報こそが本質というアイデアが浮かぶ。
ただ問題があって、曲率が0と言われているわれわれが住む平坦な宇宙では、うまく安定しない。
曲率が負の宇宙なら問題が回避されて安定する。その仕組み「AdS/CFT対応」を1997年に発表したのがアルゼンチン出身の物理学者フアン・マルダセナ博士だ。
AdSというのは負の曲率をもつ反ド・ジッター空間のことで、CFTというのは量子力学的な共形場理論のことだ。
わかりやすく言うと「重力を含む空間」が、1つ次元を下げたその境界の「重力を含まない空間に対応する」という意味だ。
AdS/CFT対応はホログラフィー原理を数学的に説明する理論で、マルダセナ博士の論文は高エネルギー物理学の分野で最も多く引用されている。
AdS/CFT対応は、宇宙物理学や量子情報理論など、幅広い分野に応用されているが、その1つが京都大学の高柳匡教授とプリンストン大学の笠真生教授が2006年に発表した「笠-高柳公式」だ。
「笠-高柳公式」によれば、この時空がもっと根源的な何かからできている可能性が示される。
根源的な何かとは「量子もつれ」だ。
「量子もつれ」とは、ミクロの領域を研究する量子力学で、2つの粒子がもつれ状態になっていると、2つの粒子をどれだけ遠くに離しても、1つの量子の状態が決まると瞬間的にもう一方の量子の状態が決まるという現象だ。
笠-高柳公式によると、この世界は量子もつれ状態の粒子が無数につまっていて、そこからホログラムのように時空が浮かび上がる。
笠-高柳公式はAdS/CFT対応の右側のCFTを「エンタングルメント・エントロピー」という情報量で説明する。
エントロピーは「乱雑さ」でエンタングルメントは「もつれ」のことだから、エンタングルメント・エントロピーは「どれだけたくさんもつれ合っているか?」、つまり「もつれの強さ」を表している。
AdS/CFT対応の左側のAdSは「重力を含んだ時空」、いわばこの世界だ。
つまり「AdS/CFT対応」とは、右側の量子もつれから左側のこの世界が浮かび上がることを示している。
さらにマルダセナ博士はサスキンド博士と協力して、笠-高柳公式を根拠に2013年、量子もつれはワームホールだという「ER=EPR」を発表した。
●マルダセナ博士とサスキンド博士のER=EPR論文/arXivより
なおERとEPRは、どれも物理学者の名前が由来だ。
左辺のERはアインシュタイン博士のEとネイサン・ローゼン博士のRで、2人が1935年に発表した一般相対性理論から予想されるアインシュタイン・ローゼンブリッジ、いわゆるワームホールを表わしている。
右辺のEPRはアインシュタイン博士のE、ボリス・ポドリスキー博士のP、そしてローゼン博士のRで、3人が同じく1935年に発表した、後に量子もつれを象徴することになった論文に由来する。
つまり「ER=EPR」は、左辺の相対性理論から導かれるマクロの現象「ワームホール」と、右辺のミクロの世界の現象「量子もつれ」が実は同じものということを表してる。
重力を量子力学で説明するのは物理学者の夢であり、左辺の重力に由来する「ワームホール」と右辺の量子力学に由来する「量子もつれ」が同じことだとすれば、このER=EPRから、物理学者が追い求めていた「万物の理論」が生まれるかもしれない。
ER=EPRは「タイムトラベル」にとっても重要だ。
まず「現時点で最も実現性がありそうなタイムマシン」(2017年度物理版)で紹介した、過去に戻るタイムマシンとして最も代表的なノーベル物理学賞受賞者のキップ・ソーン博士が考案した「ワームホール型タイムマシン」をおさらいする。
イメージしやすいようにドラえもんのどこでもドアに例えて説明する。
2つの離れた空間を結ぶワームホールでつながれた「どこでもドアA」と「どこでもドアB」を用意し、「ドアB」を光速で振動させる。
「ドアA」の時間は普通に進むのに対し、「ドアB」の時間は特殊相対性理論により時間の進みが遅くなる。
「ドアA」から入ったのび太が「ドアB」から出ると、そこは過去の世界。
過去へのタイムトラベルが実現する。
ただし、キップ・ソーン博士のタイムマシンを実現するためにはクリアすべき課題があった。
1.どうやってどこでもドアのようなワームホールを作るか?
2.できたワームホールを人間が通れる大きさにどうやって拡大し維持するか?
3.どうやって出口を光に近い速度で振動させるのか?
などが現代の科学では解決できなかった。
しかも他のタイムトラベル理論にも共通することだが、キップソーン博士のタイムマシンも、
4.タイムマシンの完成より前の過去の時間に戻ることはできない。
という問題を抱えていた。
しかしマルダセナ博士とサスキンド博士のER=EPRを使えば、2つ目以外の問題がクリアできるかもしれない。
ER=EPRが正しければ、量子もつれ状態になっている2つの粒子は空間だけでなく、時間を越えることができるかもしれない。
2011年にオーストラリアのクイーンズランド大学の物理学者が発表した論文で、量子メッセージをある場所から別の場所へだけでなく、過去から未来に送信可能なことを数学的に示された。
●クイーンズランド大学「量子もつれは時間も超越」の論文/arXivより
ER=EPRにより量子もつれがワームホールなら、キップ・ソーン博士のタイムマシンの1つ目の問題「どうやってワームホールを作るか?」はクリアできる。
しかも2つの粒子が時間的に離れていれば、3つ目の問題「どうやって出口を光に近い速度で振動させるのか?」の振動をさせなくても、未来の時間の粒子から過去の時間の粒子に入ることで過去へのタイムトラベルが可能だ。
では、どうやって未来と過去に分かれた粒子を作るのか?
ここがER=EPRタイムマシンのポイントだが、時間的に離れた粒子を作るのではなく、自然界で見つけるのだ。
これはあくまで極端な例だが、恐竜の化石で、もしその中の粒子の1つが量子もつれで恐竜の生きていた時代につながっていれば、その粒子を通って恐竜の時代に行ける。
つまり現在と過去の時代がつながっている量子もつれを発見できれば4つ目の問題、タイムマシンの完成より前の時間に戻ることができるかもしれない。
ただし量子もつれを維持することはとても難しく、すぐにまわりの環境と相互作用して、長くても数百マイクロ秒で消えてしまう。
だが宇宙や真空のような周囲に干渉するものがない特別な環境では、量子もつれがより長く維持されるという研究がある。
2018年の東北大学の論文で、これも極端な例だがブラックホールでは量子もつれがより長く維持されるという。
しかし、そもそも自然に量子もつれは発生することがあるのだろうか?
宇宙の初期やブラックホールの中のようなとても密度や重力が高い状況なら、量子もつれが自然に発生する。これはエジンバラ大学などの研究で発表されている。
もう少し身近な例では、2015年に横浜国立大学が発表した研究で、天然のダイヤモンドで光子と電子の量子もつれが検出できるという。
では最後に未解決の2つ目の問題「どうやってワームホールを広げて維持するのか?」だが、カー・ブラックホールという高速で回転するブラックホールの中の特異点は、遠心力でリング状に広がっており、その中央を通ると無事通り抜けられるという仮説がある。
詳しくは下記の記事を参照。
ワームホールは、いわばブラックホールを2つくっつけたものだから、高速回転がポイントかもしれない。